プロゴルファー、東尾理子さんがブログで、出産予定の第1子にダウン症の可能性があると書いたことに、元マラソンランナーの松野明美さんが物申した。ブログ上での公表に、ダウン症の子を持つ母親として納得できない様子だ。
松野さんは、妊娠中に赤ちゃんがダウン症であるかを調べる検査について否定的なようだが、デリケートな問題であり人によって考え方はさまざまだ。
82分の1の確率で赤ちゃんがダウン症の可能性
東尾さんは2012年6月3日のブログで、「クアトロテスト」を受けた結果、82分の1の確率で赤ちゃんがダウン症の可能性があると言われたと明かした。クアトロテストとは、母体から血液を採取して検査するもので、赤ちゃんがダウン症や開放性神経管奇形になる確率を調べられる。必ずそうなると分かる検査ではないので、確実に知るには羊水検査を受ける必要が出てくる。東尾さんの場合は、羊水検査は受けないとブログでつづっている。
ブログへのコメント数は6月8日時点で4700件を超え、東尾さんを激励する内容が並ぶ。妊娠中と思われる女性からの投稿も多く、「私も羊水検査しません」「なにがあってもこの子を生んで大切に育てたいと思っています」と、東尾さんに共感を寄せている。
しかし、東尾さんがブログで公表したという事実に異を唱えた人物が現れた。松野明美さんが「女性セブン」の取材に「公表するようなものではないと、私は思いました」とこたえたのだ。松野さんの二男はダウン症。メディアでの「明るく元気」なイメージを守ろうとするあまり、当初はその事実を隠そうとしていたという。「発育が遅い」といらだつこともしばしばだったと、自身のウェブサイトで認めている。それでも徐々に成長する二男を見るうちに考えを改め、今は同じ境遇の人を励まそうと積極的に二男の話を表に出している。
では、東尾さんの行動の何が不満だったのか。松野さんは「いろんな意見があると思う」と前置きしたうえで、生まれる前にダウン症の「可能性がある」とわざわざ言うことではない、という主張のようだ。自身がダウン症の子を育てているだけに、「怒りがこみあげてきました」と少々手厳しい。
インターネット上では、松野さんに賛同する意見も見られた。実際に生まれたらダウン症でなかった場合、東尾さんには「よかったですね」との祝福が寄せられるだろう、そうなれば結果的にダウン症の人やその親を傷つけることになりはしないか、との指摘だ。そのうえで、「82分の1の確率」をあえて明らかにする意図が分からないという。
要するに、82分の1という低確率でダウン症の子が生まれてくると公表した事を松野さんは怒ったという事なのだ。
82分の1であれば、むしろダウン症じゃない可能性の方が圧倒的に高いわけで
>実際に生まれたらダウン症でなかった場合、東尾さんには「よかったですね」との祝福が寄せられるだろう、そうなれば結果的にダウン症の人やその親を傷つけることになりはしないか
ここが一番のポイントだ。
これなら、ダウン症の子供を抱えながら真剣に向き合っている松野さんの怒りが至極当然であると理解できる。
さて、この記事を書いた理由は、東尾理子さんや松野明美さんがどうのと言うためではない。
この噂をそのまま私に伝えた事務員さんの事だ。
彼女は、「自分の子がダウン症だなんて、東尾理子は相当ショックだっただろうね~」と、事もなげに言ってのけた。
これはダウン症の人に対する差別発言だ。
更に、「調べたらその情報が間違っていた」と指摘してあげたのだが、それに対しては「あ、そうなの?ふ~ん」と、あっけらかん。
いい加減な情報を鵜呑みにして垂れ流した事実については、一切の反省も悔恨の表情も見せなかった。
単純にこの事務員さんが「悪い奴だ」と言いたいわけではなく、この彼女の態度がそのまま日本人が抱える一凶ではないかと強く印象に残ったのだ。
日本人の多くは、デマや思い違いを垂れ流しても、何ら恥とも思わないし、責任も感じないという事実をはっきりと浮き彫りにする出来事だと思ったのだ。
「デマを作ったのは私じゃない」「悪意があったわけではない」
であれば、何も心が痛まない。
この世の中で、風評やデマによってどれだけ無数の人権が踏み躙られたか、考えれば考えるほど、その根本原因は情報を扱う人間の問題意識の希薄さなのだと理解した。
創価学会は、自ら嘘・デマの集中攻撃を浴びる事により、世の中すべての嘘やデマ・・・またそれに傷つけられた人々の心の痛みを理解しながら、永久に末法の五濁悪世と戦っていかなければならない。
広宣流布は絶対に必要だ。
最後に一言。
ダウン症は、病気ではなく、個性です。