自然現象とか煩悩とかは、人間が生きて行く上では絶対に必要なものでありながら、多すぎたり強すぎたりすると困るものでもある。
世の中って不思議だ。
太陽は、照りすぎると旱魃や熱射病を招くし、
風は、強すぎると建物を崩壊するほどの威力を発するし、
水は、多すぎると洪水や不作などの水害をもたらす。
風は、強すぎると建物を崩壊するほどの威力を発するし、
水は、多すぎると洪水や不作などの水害をもたらす。
地球上の生命に絶対不可欠なものであっても、度を過ぎると生命を脅かす存在にもなる。
すべての自然現象は、生命尊厳の慈悲であり、互いに調和を保ちながら存在していると、過去に学んだ事がある。
この調和が崩れた現象が自然災害を生み出している。
煩悩もそう。
小乗経では、すべての煩悩を絶つことが成仏だと説くが、それを一切衆生にさせる事は、そのまま人類の滅亡を意味してしまうわけだから、煩悩は邪魔に見えて必要なものでもある。
煩悩は人間が生きていく上で絶対に必要なものだと言っても、「ほどほど」に留めておかなければ不幸の元になる。
食べ過ぎると健康を害し、
寝すぎると体調を悪くし、
物欲が過ぎると常に満たされない心が苦しみを生み、
性欲が過ぎるとおかしな性犯罪の元になったりする。
寝すぎると体調を悪くし、
物欲が過ぎると常に満たされない心が苦しみを生み、
性欲が過ぎるとおかしな性犯罪の元になったりする。
煩悩は、調和が乱れると三悪道を生み出し、不幸への道となる。
そう考えると、世の中のすべては、「ほどほど」にしておく事が良いということなのだろうか?
いや、そうじゃないものもある。
出せば出すほど、強ければ強いほど良い結果をもたらすものもある。
自分を高めるための飽くなき向上心
真実の人生を常に探求し続ける求道心
利他の心から生じる激励
心ゆくまで唱題
新しい事に挑戦する勇気
おおっ! よく考えたら、上記はすべて学会活動に含まれているじゃないか!
何だか凄いなあ、学会員でいるってのは。
と、ちょっと歓喜しました(笑)。
ここで思い出したのが、「池田名誉会長が語る師匠・戸田城聖先生」という本の254ページに書いてあったこの一節。
『▼信心は命をかけても悔いがない。
わたしは、「何故、不惜身命で信心をしなければならないのでしょう」と質問した。戸田先生は、こうおっしゃった。「この地球上で、軍人は人を殺しあう。経済は弱肉強食の世界で、人を幸福にするとは限らない。医者や弁護士、役人は本来は人を救う立場だが、反対に人を見下し、利用している輩も多い。その他、政治、科学、教育、宗教――とにかく人間の業というか、社会は複雑で、すべてが矛盾だらけである。どこにも万人の幸福への根本的な道はない。そのなかで、日蓮大聖人の仏法だけは、人間の根本的な宿命転換の方途を示されている。常楽我浄と、永遠の所願満足への軌道を教えてくださっている。これ以上の究極の人生の道はない。だから信心だけは命をかけてやって悔いがないのだ」と。私は納得した。納得したゆえに、身を惜しまず私は進んだ。それが青年である」――第一回アメリカ青年研修会 一九九一・一〇・一―― 』
確かに、いまだかつて
「唱題しすぎて体調を崩した」とか「友を激励しすぎて人間不信になった」とか「教学を学びすぎて鬱になった」とかいった経験はただの一度もないし、聞いた事もない(笑)。
私は今日も、自分の心を「師弟」という安全地帯に置いて、前に進み続けようと決意した。